緑色の彼に全面降伏した日のはなし

 

 私はいわゆる「誰かの担当になったときのブログ」のような「王子様を見つけてしまった瞬間」の文章が好きだ。王子様に出会った瞬間のお姫様の表情が好きだ。表情は言葉から読み取ることができるものに限るけれど「好きな人に出会った」その一瞬までの出来事がドラマチックに紡がれていて、気持ちが増していく様子を感じ取るたびにドキドキしてなぜだか感情移入してときめいてしまう。あの煌めきが美しいな、といつも思う。

 私の王子様(……なんていえるようなキャラでは微塵もないのだけれど話の流れとしてはそうなるのでそういう表現にしてみました…)との出会いも書いておきましょうか。数年前に話は遡ります。この先有益な情報は何一つありません、しかしはじまりは一度なのでせっかくだからそんなはじまりの話を。出口のないNEVERLANDの入り口の話。

 

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「今度梅芸でシゲちゃんの舞台があるんやって。」「ふーん。どんな舞台?誰と共演するん?」「いや、一人舞台らしい。」「え?一人?ソロコンみたいな?…どんなんやろ」「気になるよな?行ってみーひん?シゲ応援しに行こ!応募しとくし。」

…………なんとなくめちゃくちゃ上から目線である。(ごめんなさいそういうつもりでは微塵もなかった。)

 

2008年、高校2年生の夏。大きな筆を持って文字を書くOP映像から始まった舞台。
自分で作ったであろうストーリーの中の役になりきり一人芝居をしていた彼が、そのあと落語の演目に挑戦していた。面白かったなと笑い転げた直後、一息つけば自分で編集したのか製作したのか…それすら考える余裕も前触れもなくめちゃくちゃ格好いいショートムービーが流れ始めるし、映像の美しさに圧倒されている間に ほんのりとあたたかな灯りに照らされたステージに立つ彼は詩を朗読していた。
ここで何が起こっているのか この後何が起こるのか。全く予想がつかなくて、気がついたときには全部 私の想像を超えていた。

 

17歳の私は3つしか歳が変わらないはずの目の前にいるアイドルに打ちのめされていた。

 

結局1曲も踊らなかったし歌わなかった。コンサートのような煌びやかさもくるくると色が虹色に変わる照明もアンプから聴こえる耳馴染みの良い音楽も団扇もコールアンドレスポンスも、そこにはなにひとつなかったのに確かに加藤さんはアイドルで でもひとりで舞台に立つ武士のようなその姿が凛としていて素敵だった。

 

かっこいいのか?かわいいのか?おもしろいのか?なんなんだ、こんなに一気にいろんな面を見せられたら混乱するじゃない。万華鏡のようにくるくる変化する「こんなのもあるよ」と差し出してくれる手を思わず掴んでしまった。なんなんだろう、すきのはじまりってこんなに突然なんだ、と頭を抱えた記憶がある。

 

梅田芸術劇場に連れて行ってくれた友達に感謝の気持ちでいっぱいになった私は公演終了後急いでパンフレットを買いに行った。

「あぁ、どうしよう好きな人が…できてしまった」「きっと私はこの人を追いかけたくなる」

 

もう9年も経つのにあの日の残像は今でも脳裏に焼き付いている。ふと梅田芸術劇場の前を通ると 前の先に座っていたお姉さんが「あのショートムービーだけでもなんとか映像化してほしいよね」と話していたことや、
さっきまで堂々としていたのにすこし照れくさそうに挨拶をする加藤さんの姿や「オレンジの花びら、じーんとしたよね。」と声をかけてくれた友達の声をぼんやりと思いだす。

 

月日は流れ 何年か経つと そろそろジャニーズは卒業かな?と自分の中で区切りをつけてラジオを毎週録音したり雑誌を買ったりするのは自然となくなっていったけれど、友達が1年に一度のコンサートに誘ってくれていたのでありがたいことに欠かさずコンサートに入ることもできていた。自分なりに曲を聴いて、テレビで音楽番組を見て、たまにコンサートに行って。ああ、こういうのも楽しいな。これくらいでいいか、と自分を納得させていた。

 

………でもね、加藤シゲアキさんはそんなことさせてくれなかったんですよ。笑

 

「お前、茶の間でいいのか。後悔しないんだな。俺たちはもっともっと進んでいくから。もっともっとすごい景色をみせるから。こんなところで立ち止まったりしないから。ここで離れたら絶対に後悔するぞ。でも………もう知らねえからな!!!バーカ!」

 

本人に言われたわけではもちろんない。直接言われたわけでもない。何かの雑誌で読んだわけでもない。むしろバカとか言わないと思う。すみません。私は彼らからはどうしても離れられず 加藤さんの言葉に(厳密に言うとそうではないけれど)自問自答を繰り返していた。…面倒な女である。サッサとどちらかにすればいいのに。答えは分かっているのに。

 

結論から言うとわたしは加藤さんに全面降伏しました。無理です、嫌いになんてなれません。

 

あんなにも自分を曝け出している人をわたしは見たことがなかった。何回だって失敗しても挑戦する姿も、自分にめちゃくちゃ厳しいところも他の人には優しいところも、努力を怠らないことも、驕らないところも。どん底を見たって諦めないところも、いつでも真っ直ぐなところも、ちょっと抜けていそうなところもちょこっと面倒くさいところも。マメなところも。周りをよく見ているところも。…それから愛おしそうにわたしたちのことを見てくれる横顔を、イヤモニを外して声を聴いてくれる笑顔を 私は知っている。数年前に恋に落ちたのも、ステージの上に立っている武士のような姿だった。真っ直ぐに前だけを見て涙を拭って血の滲むような努力をして命懸けでアイドルにこだわってアイドルを全うしてくれる姿に、恋に落ちたんだった…。あ、あと脳みそ。

 

こんなんやってみましたではその時に好きだと思ったものをやってみようと書くこと、と撮ること、あと挑戦してみたいことを中心に構成したと話されていた記憶がある。あの時から加藤さんはじぶんの「武器は何か」という問題に向き合い続けていたのかもしれない、とふと思う。閃光スクランブルの亜希子に加藤さんを重ねずにはいられなかったのもそういう「アイドルとしての葛藤」を見てきたからかな、なんて思った。

 

あの舞台で 私は加藤さんの脳内を覗き見させてもらった気がしてなぜだかドキドキと胸の高鳴りが止まらなかった。こんなことを考えていたのか、なるほどそういう考え方だったのか、ああこういう切り取り方をするんだな、素敵な言葉の紡ぎ方だな、と。私には加藤さんの全てを知り得ることなんてもちろん不可能で絶対に全てを「わかる」ことはできないのだけれど、それでも加藤さんの作り出すものや、紡ぐ言葉や、撮る写真などこちら側に投げてくれたクリエイティブな作品達はいつも私をときめかせてくれたし、これからもこの人の作るものを紡ぐ言葉をもっと見ていたいというシンプルな答えにたどり着いた。

 

そして NEVERLANDに行って「入口はあっても出口はないから」と言われた一言と、最後の最後まで力が0になるまですべての力を振りしぼって全身を使って歌うあの姿を見るともうだめだと観念した。あぁ、そうだったなぁ  9年前からもう私は加藤さんのいるその部屋のドアに鍵を差し込んでいたのだったなぁって。

 

「やりたいことが無限にある」ときっと口の端をあげてニヤリと言い放ったであろう加藤シゲアキの「やりたいこと」をすべて目に焼き付けたい。加藤さんがこちらに届けてくれようとするものすべてを受け止められるような大きなキャパシティと好きの気持ちで、応援していきたい。すき はたくさんあればあるほどたのしい。きっと、ね?

 

解けない魔法をかけ続けてくれる4人に、彼に全面降伏した日のお話おしまい。これからもっと加藤さんのすきなところを知ったり好きな気持ちが増えていくのがたのしみです。気持ち悪いことになってしまった。…まぁ、いいか。笑